『チームIII』書影
2020年3月 マラソン

『チームIII』実業之日本社

初マラソン日本歴代2位、2度目のマラソンで日本記録に迫るタイムを叩き出した新星・日向誠。しかし突然スランプに陥り、東京オリンピックへの出場が危ぶまれる。若きランナーを助けるために、「あのお節介な連中」が再び動き出した。

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分かってると思うが、失敗は絶対に許されない」

「ええ」広瀬は低い声で答えた。これではまるで脅し……しかし、目の前にいる塩島の気持ちも理解できる。陸連強化委員会の長距離・マラソン部門ディレクターである塩島は、自分以上に世間の圧力を感じているはずだ。

「来年東京で開かれるオリンピックで、日本選手が惨敗する──そんなのは誰も観たくないんだ」

「私も同じですよ」広瀬は話を合わせた。

「有力視される選手のタイムもよくない。今、期待できる選手は一人しかいない。君には、そういう重要な選手を扱っていることを強く意識してもらいたい」

「もちろん、十分理解しています」

「だったら、具体的な強化策──彼を立ち直らせる手は考えているのか?」

「いえ」広瀬は言い淀んだ。考えている。考えてはいるが、具体的な方法を考えついていない状態では、「考えている」とは言えない。

「だったら、今から言う方法を検討してくれ」

「何ですか?」

「彼専属のコーチをつけるんだ」

「そんなことが ──」

「できる。相手はフリーだ。君の仕事は、彼を説得して表舞台に引っ張り出すことだ」

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「お久しぶりです」浦大地は深々と頭を下げた。

「いやいや、あんたに頭を下げられると恐縮するよ、箱根駅伝三連覇中の名監督さん」畑山直己が真顔で言った。

「とんでもない。いつもお世話になっているのはこっちですよ」

「それはお互い様だろう。うちもあんたのお陰で、いい中学生が取れるようになった。ウィン-ウィンの関係とはこのことだな」

浦はもう一度頭を下げ、ベンチに腰を下ろした。目の前のグラウンドでは、陸上部が練習中。短距離、投擲系、跳躍系……東広島農高の陸上部は、どの競技でも全国レベルである。

ただし元々は、長距離で名を上げた高校だった。畑山がここの監督に就任したのは、もう二十年も前。若い頃から指導者として将来を嘱望されており、三十八歳で東広島農高陸上部に赴任すると、あっという間に高校駅伝の強豪校に育て上げた。その頃のエースというか、もはや日本陸上競技界における伝説の存在になっているのが、浦とも因縁の深い山城悟である。

「今は? 長距離の連中はロードですか?」

「ああ。ほぼ毎日、ロードを走らせてる。連中は駅伝がメーンだから、トラックじゃなくてロードの走りに慣れておかないとな」

「監督が自分でついていくんじゃないんですか?」

「馬鹿言うな」畑山が笑い飛ばした。「俺ももう五十八だぞ。自転車でもついていけないし、バイクで走ったら寒くて風邪を引いちまう。今は、若い優秀なコーチがいるから、俺は偉そうに踏ん反り返って檄を飛ばすか、中学校へスカウトに行くぐらいでいいんだ。最近は、いい選手が自分から来てくれるようになったし……それもこれも、浦さん、あんたのお陰だよ」

二人をつないでいるのは、広島県の庄原出身で、東広島農高を経て城南大で活躍したマラソンランナー、日向誠である。浦は早くから日向の素質に目をつけ、自らが監督を務める城南大にスカウトした。この読みは見事に当たり、日向は大学の三年まで毎年箱根駅伝を走ってチームの好成績に寄与し、大学卒業直前に出場した二〇一八年の東京マラソンでは、初マラソンでの日本人歴代二位という鮮烈な走りを見せ、日本人トップでゴールした。

一位が山城だ。

日向の記録は、山城が持つ記録に三十秒以上及ばない。しかし今のところ、初マラソンで二時間七分台を記録した日本人は、この二人だけである。

この快走で、日向は一気に日本マラソン界の若きエースとして祭り上げられた。その期待に応えるように、東京マラソンに続き東京オリンピックのマラソン代表を決める「MGC(マラソングランドチャンピオンシップ)シリーズ」の一つ、北海道マラソンで優勝。しかも現在でも山城が持つ日本記録・二時間五分一秒に五秒まで肉薄するタイムを叩き出した。

陸上界がさらに騒然としたのは当然である。そして日向を育てた浦と畑山にも、再度光が当たるようになった。

もっとも、現在日向は実業団一年目で、浦も畑山も見守ることしかできない。「俺が育てた」と胸を張って自慢し、酒の肴にするぐらいだ。

日向の走りは、何となく山城を彷彿させる。ただし日向は、唯我独尊の山城と違って、他の選手ともきちんとコミュニケーションが取れるし、礼儀正しい。浦は心の中で、彼を「優しい山城」と評していた。

「で? 今回はどういう用件かな」畑山が切り出した──いかにも怪しむように。

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『チームIII』書影

『チームIII』実業之日本社

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