『ダブル・トライ』書影
2020年5月 ラグビー・円盤投げ

『ダブル・トライ』講談社

神崎真守は、7人制ラグビーの日本代表として活躍しながら、円盤投でも日本記録に肉薄した成績を残し、2種目でのオリンピック出場を期待される。不可能かと思われる彼の挑戦──その背後で、スポーツビジネスに全力を捧げる男たちの思惑とは。

第一章 目当ての男

 神崎真守(26)は、日本スポーツ界の至宝になるだろうか。

 先日行われた陸上日本選手権で円盤投に出場した神崎は、大会前までの日本記録を上回る投てきを見せ、二位に食いこんだ。優勝と日本新記録こそ、ベテランの秋野泰久(33)に譲ったものの、これが全国レベルの大会二度目の出場とは思えない、堂々たる戦い振りだった。

 神崎は既に、七人制ラグビーでは第一人者である。リオオリンピックに日本代表として出場し、獅子奮迅の活躍を見せた記憶が薄れないままでの、陸上日本選手権出場は世間を驚かせた。そしてスポーツ記者の間でも、この「二刀流」については意見が割れている。

 ラグビーか円盤投、どちらかに専念すればより高いレベルに行ける、というのが反対派の意見である。特に七人制ラグビーは、東京オリンピックでのメダルが期待されており、その中軸選手として専念してほしい、という声は大きい。

 賛成派は、彼の円盤投の「可能性」に賭けた。円盤投は前回一九六四年の東京オリンピック以来日本選手の出場はないが、神崎には可能性がある。まだオリンピックの参加標準記録を突破したわけではないが、これからもチャンスはある。二〇二〇年の六月までに参加標準記録を上回れば、東京オリンピックへ出場するチャンスが生まれる。

 私自身は、二刀流に期待する方向に心が傾いている。日本人は基本的に、一つの道に打ちこむアスリートが好きだが、そこにこだわって多様な可能性を潰してしまうのはいかがなものだろう。

 大谷翔平の活躍からもわかるように、アスリートには無限の可能性がある。五十六年ぶりに東京で開かれるオリンピックで、私たちに二つの夢を見せてくれる選手がいてもいいのではないだろうか。
(東日新聞運動部・高木靖友)

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 二〇一八年六月、陸上日本選手権。新興スポーツ用品メーカー・ゴールドゾーンの営業マン、岩谷大吾は、ずっと緊張したまま競技を見守っていた。山口市にある、維新みらいふスタジアム。二本の支柱に吊るされたようなメインスタンドの屋根が特徴的で、芝の緑も際立つ綺麗なスタジアムだが、今はその美しさを楽しんでいる余裕などない。

 大変なことが起きようとしているのだ──秋野泰久と神崎真守の、恐るべきハイレベルの戦い。

 東京体育大OBの秋野は、半導体・電子機器メーカーのJETジャパンに入社後、毎年のように記録を伸ばし、三十歳を超えてから、日本記録更新を狙えるまで成績を上げてきた。今日は最初の三投全てで六十メートルを超え、五投目で、前年に秋野自身が更新した記録を二十センチ上回った。二年連続で日本新。

 しかし、観客席がさらなる興奮に包まれたのはその直後だった。

 七人制ラグビーの選手でありながら、突然日本選手権にエントリーした神崎真守の最終六投目。まだ六十メートル台は出していなかったが、今日はファウルになった二投以外の三投を全て五十八メートル台から五十九メートル台と高レベルで揃えてきた。

 円盤を持ってサークルに入った神崎が、一度だけ肩を上下させる。投擲の選手はだいたい体が大きいものだが、神崎は他の選手よりも一回り大きい。百九十一センチ、百二キロの肉体は、分厚い胸板、ぐっと前に張り出した腿の筋肉を備え、いかにもパワーがありそうだ。

 円盤を持った右手を軽く、しかし大きく二度振ると、そのまま力む様子もなく回転を始める。回転スピードが、他の選手とは明らかに違っていた。

 投げた瞬間、円盤を後押ししようとするように大声を上げる選手もいるが、神崎は一言も発しない。リリース後に勢いで一回転した後は、静かに円盤の行方を見守るだけ──その振る舞いは、会心のショットを確信したゴルファーのようでもあった。

「これは……」岩谷は、思わず腰を浮かせた。

 スタンドで歓声と拍手が爆発する。すぐに記録が発表されて、その歓声はさらに大きくなった。先ほど秋野が叩き出した日本記録まで、わずか十センチと迫っている。

 こいつは本物だぞ。岩谷は額の汗を拭った。「七人制ラグビーの日本代表」として追いかけてきた男が、円盤投で日本選手権に出場すると聞いて現場に駆けつけたのだが、実際に見て、腰を抜かしそうになるほど驚いた。

 コンスタントに記録を揃えてきて、最後に日本記録に迫る距離を投げるとは。

 二刀流、あり得るのではないか?

 というより、是非とも二刀流を実現させてやりたい。ゴールドゾーンにとっても、間違いなく「金の卵」だ。


 岩谷が初めて神崎に接触したのは、リオオリンピック終了直後だった。七人制ラグビー代表としての活躍に目をつけ、何とかゴールドゾーンと契約してもらおうと「顔出し」から始めたのだ。ただし手応えは弱く、契約の話を持ち出しても、神崎は「いやあ」と遠慮がちに笑うだけだった。その後も何度か接触してみたものの、色よい返事はもらえていない。

 しかし、円盤投とは……神崎が高校生の頃に円盤投でインターハイに出場したことは知っていたが、その後はラグビー、特に七人制に集中しているものだとばかり思っていた。実際彼の口から、円盤投の話を聞いたことは一度もない。

 競技が終わった後、岩谷はスタジアムの中で慌てて神崎を摑まえ、話を聞いた。

「びっくりさせないでくれよ」両手を大きく広げる。「どうして円盤投を──いつ準備してたんだ?」

「ラグビーの合間に、ですね。うちは陸上部もありますから」神崎が涼しい表情で答える。

「なるほど……それで、どうするんだ? 両方続けるつもりなのか?」

「体が持てば」神崎のごつい顔に大きな笑みが浮かんだ。「どっちも面白いですからね」

「二刀流だね」

「まあ、そうですね……今流行りの言葉で言えばそんな感じです」

「それで、前にも少し話したけど、うちとの契約について、一度ゆっくり話さないか? 条件面もしっかり提示させてもらいたいんだ」

「いやあ……」神崎が頭を搔いた。

「神崎!」

 大声で呼びかけられ、神崎がそちらを向いた。JETジャパン陸上部のヘッドコーチ、山口。

「すみません」神崎がさっと頭を下げた。「ちょっとミーティングがありますので」

「ああ──」

 神崎がもう一度一礼して、山口のところへ駆け寄って行った。山口とは親しくしているので、岩谷は丁寧に会釈したが、山口は何故か厳しい表情で小さくうなずくだけだった。

 もう少しきちんと話しておきたかった。今、状況は一気に変わったのだ。何としても神崎の関心をゴールドゾーンに向けさせ、契約を勝ち取らなくては。

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